懐かしいなぁ。
大昔?日本テレビ音楽学院(現在、日テレ学院)で演劇のレッスンを受けていたころ
憧れの池田義一先生クラスに入ることができ、発表会での役名。
(山手めぐりさんは先生の芝居に結構出てくるのですよ。その3代目くらいだったかな?)
セリフは山手線の駅名。
メイド役。
(昨日のモトブラ旗揚げ公演を観て懐古してます。)
でもね、そんなセリフさえも憶えられなかった私…
というより、きっと演劇・芝居…を全く分かっていなかったと思う。
だから、記憶して、身体の中に入れて、演じて発する!という行為自体拒否していたのかも
その頃って、やはりミーハーさが先に立ちますからね。
アイドルになりたいとか、お笑いやりたいとか、TVに出たい!とか、
まぁその頃からの基本姿勢は変わってはいないのですが、、、
「人を泣かせるのは簡単だけど、笑わせるのは難しい。
だからたくさんの人が笑顔になることをしたい。」
ということ。
これね、日本テレビ音楽学院の応募履歴書の志望動機にもきちんと書いてある。
高校生だったのに(笑)
それからずーっと自分なりに勉強して
池田先生からチェーホフを読みなさい。そして研究しなさい。
って宿題もらって、(まだレポート提出できていません)
そこで、芝居の観方とか変わってきて
日本劇作家協会、戯曲セミナーコント講座でたくさんの作家の方たちのお話聞いて
別役実先生に指導していただき、
北区の北とぴあ演劇祭の脚本ワークショップに参加して
津田ますひろさん、飯田豊一さん、谷杉精一さん他たくさんの方たちと出会い
そして、池田先生からお誘いをうけた『道化師たちの夜更け』への出演等が
影響しあって、今の自分があるのです。
矢羽々昭幸さん、劇団チョコレートケーキの古川健さんと出会えたことも自分にとってすごくショックな出来事だったと思っています。ふふふ。
(しかし、私は面と向かうとちゃんとした声掛けができず反省ばかり…)
さて、「5年後の自分を見ろ!」というのは、岩立良作(現・オフィスぼくら社長)さんの言葉。
5年後もはなムスび続けていたいです。
内容とか方向性とかは…ですが。
ぜひとも今後ともよろしくお願いします。